第2話 幸せの記憶
2011年3月は一生忘れることのできない春となりました。心に刻んだ3月であり、祈りの月でもあったと思います。若葉の季節を迎えても傷ついたた気持ちが癒えるには、まだまだ時間がかかりますね。
さて、さる3月、我が家でも末娘が小学校を卒業しました。私達夫婦も長女から数えて17年目の小学校卒業です。子ども達を日曜日も連休も畑に連れ出すばかりで、旅行や映画など、子どもが喜ぶようことは本当に少ないまま幼少期を送らせてしまったと、かわいそうに思う事が、ちょっとだけあります。
お弁当を持って出かけても畑仕事と、ピクニックは違うそうで。そんなことは判っていても「一緒じゃん」としらばっくれてしまった事、これはいやいや悪かったと思っています。その分、田舎でなければ身につけられないことは、英才教育をしたつもりです。
鉈で薪を割るとか、薪で風呂を焚くとか、一日中収穫に耐えられる持久力、など、など。いつか大人になった時、必ずその力を発揮する時が来ると確信していますが、それはまだまだ先の話ですね。
両親や姉妹兄達と毎日食卓を囲んだ、たわいない日常が、親になった時、一人一人を支える糧になってほしいと願ってやまず。そう思いながら迎える卒業式は嬉しくもあり、物悲しくもありました。
季節は初夏。早苗を揺らして風が吹きます。逞しくの野良仕事をすることで見えてくるものが確かにあると、今日もいつものように地下足袋を履きます。
震災の1日も早い復興をお祈りしつつ。
農業共済新聞鹿児島版 2011.05.04掲載
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